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2019-12-31

大晦日の空気と、父のモツ煮込み。

今年も残すところ、あと数時間。

今日は大晦日。

1年 365日の中の、同じように等分されてるはずの、今日という1日だけど、

いつもこの日は独特の空気があるように思う。

それは、空間にある粒子のようなものが、それぞれ少し重くなったような、ずっしりした空気で。年越しは、その、少し重みのある空気をくぐるような感覚。

ちょうど、水中に潜っているところから、外の空間へと押し出て行くような、そんな感覚。

合わせて、そのくぐり込みは この夕方あたりの時間から強まるようにも感じられて、まるで2日分あるような、そんな長さの体感の変化ももたらしてくる。寝る時間は実際、いつもと変わらないのだけれど。

その感じは、普段はほとんど観ることがないテレビが醸し出す年末の番組や、

だいぶ長い間、紅白が終わる少し前に家を出て、年越しの三島大社の初詣に出ていた記憶がつくるものなのか。

それでも確かに、この日はそういう、いつもの空気よりもちょっと重い、超えて行く抵抗感のようなものを覚える。

だからか、気持ちやテンションも内向きになっていく。どちらかというと省エネルギーで、静かな感じ。そしてそれは、私にとっては好きなものであるなあと感じている。

本当はそういう静かで内向きの自分がいるから、とかそういう理由でなくて、

毎年同じように繰り返すこの習わしのようなものの中で、

外の空間に習うように自分の在り方が少し変わる感じが、いいのだと思う。

実家から見える富士山の写真。

大晦日で思い出すのは、父がつくるモツの煮込み。鍋でたっぷりつくる煮込みだ。

大晦日の日に食べるごはんやお蕎麦、年明けのお雑煮やおせちとはまったく別にその鍋は存在していて、

たいてい、29日や30日に 父は卸売場に行き、 モツだけじゃなく、

ハチノスとかミノとかギアラとか、普段聞きなれない、そういう内臓系のお肉を買ってきて、家でグツグツ煮始める。

そうして 家族で食べる料理とは 違うラインで、食事の時間とか関係なく、よく食べている。

見た目はものすごいけれど、トロトロになったそのお鍋は私も好きで。

ただし、モツくらいしか食べられなかったので探し当てるような食べ方ではあったけど。

あの煮込みの、誰かに食べさせることを期待することのない、

自分の密かな楽しみな感じ。

内向きに煮ている感じが、この年末の感じとすごくあっていて、

だからかその味はとてもじっくり、美味しかった。

年末から年明けにかけて存在するあの鍋は、

そういえば 私の中の風物詩に、なっている。

今年、2019年もたくさん、お世話になりました。

数ある年の中でも、きっと今年は変化の年。

そんな年の中で、新しい人に出会い、

これまでお世話になった方々や友人に再会したりもして、

あっという間で とっても長い1年だった。

その長さのイメージは、濃厚さを表してると思う。

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。

感謝を込めて。

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