行いの中にある、変態的に好きな感覚。
今日は1月7日。五節句の一つ、人日の節句。人の日。
七草粥を食べて、1年の健康をお祈りする日でもある。
昨日・一昨日は1日グラレコ(グラフィックレコーディング)のお仕事をさせていただいて。
デザイン関係のお仕事とは違って、グラレコは壁に貼った模造紙に、ひたすら聴き描き立ち続けているので、終わると頭は少しぼうっとして、肉体的な疲れを感じる。それは私にとっては心地いい、スポーツの後のような疲れの感覚で。
ふっと息を吐くように過ぎたお正月、気づけば2020年も7日経った。いまだに、ノートに日程を書く時に「2019…あっ」と「9」に横線を引いて「0」に直している。さすがに模造紙の上では大丈夫であったけど。笑
昨日は会社勤めの多くの方にとっての、仕事始めの日。
そんな中で、大学時代にとてもお世話になっていた会社の、『仕事始めの全メンバーによる1日会議、通称「合宿」』のレコーディングをさせていただいた。約7時間におよぶ会議(ワークショップ)をレコードすると計9枚もの量になった。
スピードが速くて優秀な方が揃う企業だからこそ爆速、かつ問いが適切で洗練されていて、描いているのがとても気持ちよかった。頭はフル回転、手は大忙しの中で。
思えば2013年の年明け頃から、この企業さんの前身になる場所で、「デザイン思考」を学んで、1dayや3daysのデザイン思考ワークショップのチームファシリテートを経験させていただいて、その中で生まれたのがグラレコで。
そもそもグラレコと思っていたなかったものが、「”Graphicrecording”」と名前が出る頃になって、グラレコという形で仕事させていただけることになって。
この日に限らず、グラレコで参加させていただいていると、休憩時間など、初めて会った方に「どうやって描くのですか?」とよく聞かれる。
この、「どうやって描くのか?」を、これまでは「こんな背景で自然と~」と話していたところから、昨年の夏に、ある学生さんの一言で、「どうやって描くのか?」を手作り感いっぱいでワークショップの形に初めて落としてみた。
それは、これまで非言語だったものを、言語化する作業でもあり、これまで無意識的だったことに意識的になる時間でもあって。
ずっとお申し込みフォームをつくらずに現在に至りますが、年明けは1月16日(木)19:30 ~ 22:00の2時間半で、代々木公園駅そばの会場をお借りして開催します。(料金は3,500円税込です。)まだ参加募集しています!ので、是非興味のある方はご連絡ください。
で、この「普段どうやってるんだろう」とこれまで自然に行っていた私流のグラレコを、誰でも実践できるようにダウンロードしてみる作業の中で、step 1 ~ 4と具体的な項目とミニワークを設計できてきた最後、ポツンと気づいた1点があった。
それは、私が「人の言葉を描くことが変態的に好き」という変態さの1点だった。笑
もちろん、短い時間での話し合いや打ち合わせの中で使っていく際にはその要素がなくても問題にならないけれど、7時間とか8時間とか続く、その場で起きる対話や会議を可視化するグラレコの形は、
仮にstep 1 ~ 4ができたとしても、この最終的な「変態的な好き」要素がないと、できない気がする…と思ったのだ。
学生時代にいただいた、精神的にも肉体的にも限界がくるような集中的なアイデア創発の3日間、7日間のチームファシリテーションの経験の中で、何気無い言葉が「落ちていく」瞬間。ポストイットに書き留められないで「落ちていく」言葉。
これを、もうとっておきたくてしょうがない、どうしようもない…という、変態さ。
もう3年前の1月2日、前職の湯河原リトリート ご縁の杜でシェフをつとめる深澤 早苗さんに出逢った。
キッチンで生まれる何気ない話、ひとこと、その一つ一つを、書きおとしたくなくて、裏紙とペンがいつもポケットに入っていた。
言葉を超えてその感覚や状況を味わうのも一つだしそれもしているつもりだけど、どうしたって「伝えたい」が勝ってしまう。その「伝えたい」が原動になって、その1月2日の月の末には、何十年も広報という役割はなかった宿の場所で、「キッチンの中の言葉を外に伝えたい」と、「広報」担当希望で入社したのだ。
この「変態的に好き」という言葉って、私はとても面白いと思っている。
「私が誰かに何ができるよ、」と伝えることができる「ギフト」という言葉がある。
仕事関係の場合には、その「ギフト」が具体的であり役立つ早さが欲しくなるものであるしそれが必要だけれど、
そうでない場所の視点から見てみるときには、「ギフト」には、この「変態的に好き」要素が、長期的には必須であるような気がするのだ。
理由もなく好き、という言葉に限りなく近いけど、もしも問いを変えた時に違う言葉が出るとしたら、それはやっぱりこの表現だからこそ出る可能性が言葉にある気もする。
だから2020年はどこか早めの時期に、「お互いの『変態的に好きなこと』」をシェアできる場をつくっても面白いかなあ、なんて考えたりもしている。「探し合う」のでも、面白そう。
「問い」というのは、 たくさんのものが置かれている暗い倉庫の中で照らす、懐中電灯のようなものだと思ってる。
懐中電灯には、遠くに飛ばしたり照射範囲を広げたりする機能があるものがあるけれど、そんな感じで、「どこにどんな風に当てるか」で、見つかるものが違ってくる。
ただミソは、ほとんどすべてのものが、その倉庫の中 — すでに自分(や相手)の中にあるということ。
答えがわからなかったり見つからない時には、この「問い」が適切でないことがほとんどの原因だと、そう思ってる。つまり、探し方が上手で無くなっている状態で。
この「変態的に好き」も、ともすれば「ブルーライトのような光」で、この言葉が入ると、「そんなものはないぞ…」という状態であっても、見えてくるような気がするのだ。
“できる”から“やる”じゃなくて、
“したい”から“できる”の順番でいいよ
この言葉は、「広報をしたい、人に伝えたい」といいながら、その経験も実績もなかった私に、ご縁の杜の代表 深澤里奈子さんが私にかけてくれた言葉。
そこから3年経った今、
“したい”から“できる“になったことも、
“できる(ようになったこと)”から“やってる”と思っていたことも、
この「変態的に好き」につながっていたことがよくわかった、そんな気がしてる。
だから、仕事関係で出てくる「ギフト」にも、結局は「変態的な好きさ」のカケラが入って来るのだな、と思う。
どうやってその「変態さ」を見つけるんだろう?という問いには、この経緯を振り返ると自分が「何気無く・当たり前にしていること」を人にお伝えするくらい噛み砕いてみた先に、「あっ」と、見つかる。そんな気がする。
それは、こたつの中に探してたものが見つかった時のような感じで。
年明けから、どうしてこんなに「変態」という言葉ばかりを書いているんだろう。笑 変なワード検索に引っかからないだろうか。笑
遅くなりましたが、
新年 あけまして おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
拝